ブログに書く時はネガティブはけっこう消しちゃってるという言い訳の話
ブログに、散発的に生じた感情をつなげて一本の記事にしたら最終的に部分部分の感じたことを封じてしまっていた話を書こうと思ったけどまとめられそうにない
— 麺類🍜🍝 (@ketty_no_ouchi) September 23, 2018
「楽しめた良かった泣いた」って話にまとめようと思った時に、それでもちょっと抱いていた違和感とかとげのような小さいものをぷちっとしてまとめるってやると、やっぱり後日になってちょっと後悔したりするんですよね
— 麺類🍜🍝 (@ketty_no_ouchi) September 23, 2018
この辺の話
ブログをしばらくやっているうちに、文章でもって
ネガティブなことをどうやって伝えるべきかまったくわからなくなってしまった。
というか意図的にネガらないように、ネガった部分は消すまでしている。
例えばこの間の若おかみの話。
>特に事故に関する演出は、観ているだけで胸が締め付けられるようで……
>上映が終わる頃には、成長した娘が誇らしいような気分まで感じていたと思う。
この辺とか特にそうで、記事にまとめるために楽をした部分で
られるようで……の後にぐだぐだした感情をまとめるのが面倒になって切り上げていたり
思ってないことはないけど、くらいの表現で違和感を無視しながら組み込んでまとめたり
そういうことをやっている。
自分の娘だと思いこむにはトラウマを乗り越えたおっこは強すぎるでしょ
映画のネガティブ面が話題になった後だから直すのもあれかなと思ってそのままにしてるけど、
全然そこまでは思ってないっていうか、
見ているキャラクターがあまりに重いものに対面して乗り越えるのがすげーって感情はあったものの、そこまで具体的なものは乗っけてなかった。
でもなんとなくキーボードが滑ってそういう言葉を選んでいた。
あとは監督の人柄というか臭いのする部分では、
思想がややこしすぎるのが監督コメントから漂ってきていて、
子供向け映画一本で収まってなかったら思想部分が暴走してヤバくなってそうだなー子供向けで良かったね、
みたいな失礼な感想があったりとかしたけど、組み込む場所が無かったから消しちゃった。
なんでそうしてしまうか、面倒になって楽をしてしまうかって話に戻ると
叩く時は、本当に嫌な想いがあったか、それは何をもとにしていて何が悪く感じたか、
それなりに自分と向き合ってまとめる必要があるんですよね。
感情の話とはいえ。
逆にポジティブな感想は突かれることってほとんど無いから気兼ねなく垂れ流せる。
いいぞでいい
まあ単にいいぞだけになるのは、諸事情で避けたほうがいいけど……
でも、割合的には9くらい楽しんで1くらい気になったって感じだから、
わざわざネガティブなことを、しかもまとめてしまえば精々1行2行だと思うだけで、
ネガティブなものはとりあえず全部カットしちゃえってなる。
それだけ楽しておきながら、1000文字ちょっとのただの日記をまとめるのに一時間もかかってるから、
気にしなくても別にいいのかなとかは最近思ってる。
とはいえ無理してネガ部分書くよりは良かった話でまとめる方が、
僕もなんとなく後味がいいし(僕は単純なので良かった話でまとめた後は全部良かった気になる)、
読む人も悪い気分になりにくいと思うし、
まあそんなところです。