麺類

何もしない日々

「見届ける」と「見守る」という言葉について

スクールガールストライカーズ

モシュネの野郎がまたガチャの確率を気持ち上げて大出血サービスみたいなツラしてるから怒りのあまりアンインストールしたくなったけど、

まだ、水着をすべて堪能していないし、

なにより、キラル世界のゆくえを見届けていないから

もうほんと

ギリギリで我慢した

 

ソーシャルゲームの運営がガチャを、

まるで素晴らしいことのように語る姿だけは見たくない。

素晴らしい世界とキャラクターを日々提供してくれているのはガチャの儲けのおかげっていうのは分かってる

でも、こんな邪悪なものはいずれなくならなければならない。

水着にお金を払うといったことがその道に繋がっていると信じている

けどまあ普通にスクストのサービスが続いている間はガチャで回していくんだろうという諦めはある。

 

 

 

それはそれとして、エピソードキラルの話。

物語自体の感想はともかく、このシナリオの特徴についてちょっとだいぶ抵抗があって、

ただシナリオを読んでいるだけで謎の焦燥感を感じてしまう。

 

投票による物語への介入。

周りから降りかかる境遇にではなく、登場人物たちの行動、感情を指定するというシステムがどうしても受け入れられずにいて、

「どちらも選ばない」を選んで

毎回、95%以上の人が、いずれかを選ぶ状況をただ眺めるしかできないことがもどかしい。

 

ゲームなんだからプレイヤーに行動を決定させられるのは当然という見方もあるけど、

僕がスクストというコンテンツに、ガールズ達にいろいろなものをもらってきたという感情がまずあるから、

無性にモヤモヤしてしまうのかもしれない。

 

皆さんはどうですか。奮戦していますか?

僕は、どうしても違和感を拭えないけど、それでも

エピソードキラルのその果てに答えがあると信じて、つらいことがあっても最後まで見届けようと思う。

 

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ミネルヴァが繰り返す言葉で「見届ける」という言い回しがあるけど

3つの選択肢で「どちらも選ばない」を選択すると、

「今回は 見守る立場を取るんだね。 わかった。」と、言うんだよね。

この「見届ける」と「見守る」の違いがストーリーの鍵になるような気がしてならない。

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でもミネルヴァ、シリアスやるには夏にはっちゃけすぎちゃってるよね。

それもまたスクストだね。